創価学会の性犯罪白書 -池田大作の歪んだ性癖-

創価学会では、セ クハラ、わいせつ、レイプなど卑劣な事件が多い。名誉会長である池田大作は性 にコンプレックスがあり、性的に貶める中傷ビラや合成写真を製造して他人を陥 れることを好む。歪んだ性癖を持つ教祖に支配される、わいせつカルト教団の内 部を紹介する。

更新 日: 2019年02月03日

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創価学会では、セ クハラ、わいせつ、レイプなど卑劣な事件が多い。名誉会長である池田大作は性にコ ンプレックスがあり、性的に貶める中傷ビラや合成写真を製造して他人を陥れること を好む。歪んだ性癖を持つ教祖に支配される、わいせつカルト教団の内部と著名人の 性被害を紹介する。

sgibustersさん

名誉会長 池田大作のレイプ事件

" 公明党議員(=創価学会)を追うとオウムの闇も見えてくる” にも記したように、オウム真理教と創価学会の関係は深いようだ。

池田大作が北海道でレイプをした日付と松本サリン事件の日付が同じと いうのは、はたして偶然であるのかどうかとも思えてくる。

≪二代会長・戸田城聖も、女が好きだったことは有名だ。戦後、創価学 会を始めた時の五人の仲間の一人だったN(一時、戸田と出版社を共同 経営、学会はその後脱会)が、戸田の愛人・森重紀美子のことを「甚公 (注=戸田の本名・甚一からくる)は、おおっぴらな男で、妻妾同居み たいなことも平気でやった」といっていた。

 溝口淳は、こう書いている。
「池田はこういう戸田の弟子なのである。男女の機微に鈍かろうはずは ない。池田自身も[戸田先生は、それはすごかった。毎日ふるえあがっ た。女房と一緒に寝られるか!そんなくだらない!とね](内部文書、 50年10月の池田語録)と、戸田の実像を伝えている」
(「現代」五十七年十二月号)≫ 『創価学会をブッた斬る』藤原弘達 より

池 田大作レイプ事件

 平成8年2月、創価学会の元婦人部大幹部・信平信子さんは「三度に わたって池田大作に強姦された」と告発し、同年6月東京地方裁判所に 損害賠償請求の訴えを起こした。

 以下は被害者・信平さんの手記より──
       *         *
 創価学会が、大沼国定公園(北海道)の中に、総面積2万坪という広 大な敷地をもつ「大沼研修道場」を作ったのは、昭和46年のこと。
 そして、池田大作がここに避暑に来るようになったのは、昭和48年 6月からでした。
 大沼研修道場の本館での池田の世話は、私が全部やることになってお り、それが上からの指示でした。
 本館の三階は桧(ひのき)風呂もある池田の専用施設で、関係者以 外、たとえ大幹部であっても立ち入ることができません。昭和48年当 時は、私以外、誰も三階に昇ることは許されていませんでした。

■1 回目の暴行

 池田が大沼に初めてやってきた日から三日目、6月27日の夜のこと でした。
 それから起こる恐怖と屈辱の体験など、察知する由もなく、私は、自 分の仕事として、それまでどおり午後9時に、池田の布団を敷くため三 階に上がっていきました。
 すると、初日も二日目もその時間には部屋にいなかった池田が、寝室 隣の執務室にいて、何か、書きものをしていたのです。ステテコとク レープのシャツ、という姿でした。
 私は、「失礼します」といって中に入り、邪魔をしてはいけないとい う思いから、寝室と執務室の間のふすまを閉めようとしました。ところ が、池田は、「そのままでいいよ」と言うのです。
 私が、池田に背を向ける形でシーツを整えていた時です、池田は、前 かがみになった私の背後から、いきなりのしかかってきたのです。アッ という間のできごとでした。
 池田は、私を押さえつけたまま、肩の方から手を伸ばし、私のブラウ スのえりとスリップのひもを一緒に引っ張りました。
 夏物の薄いブラウスですから、ひとたまりもありません。ボタンがバ ラバラとちぎれ落ちました。
 スカートもビリビリに破られました。

池 田は、「ハッ、ハッ」と荒い息を吐き掛けながら、
「下着は一枚だね」
 と言って、私の下着の中に手を入れてきました。
 ものすごい力で押さえつけられた上に、恐怖で声も出せないでいる私 に、池田は後ろからグッと突いてきたのです。あがき、もがいて、抵抗 を続けていた私は、目の前が真っ暗になり、うつぶせになったまま、失 神してしまいました。
 どれほど時間が経ったでしょうか。気を失った時はうつぶせだったは ずなのに、寒さを感じて気がついた時、私は、仰向けで布団の中に寝て いたのです。
 私が這(は)ってドアまで行こうとすると、池田はしつこく追いかけ てきました。ドアに頭をぶつけ、心臓はドキドキして、ここで殺される のではないかと、本当にそう思え、大変な恐怖でした。
 ようやくドアを開けて、二階にかけ降りると、トイレに飛び込みまし た。激しい吐き気に襲われ、それはしばらく続きました。
 そして、気持ちを鎮め、下腹あたりについている体液を何度も何度も 拭きました。皮膚が赤くなっても、なお拭き続けました。

■ 「体臭のきつい池田」

 昭和49年には、池田に呼ばれて二階に行くと、誰もいない部屋でい きなり抱きつかれ、顔を引き寄せて口を押し付けられました。また、 「散策に行こう」と言われ、戸外なら大丈夫だろうと思ってついて行く と、本館の裏につれて行かれ、そこでも同じようなことをされたので す。
 抵抗し、幸いにもそれ以上のことはありませんでしたが――。
 その後も再三にわたって、同じようなことが繰り返されました。
 ちなみに、池田は、体臭がものすごくきついのです。とくに夏場だっ たせいもあるかもしれませんが、ニンニクが腐ったような臭いとでもい うのでしょうか、それが身体中から発散されていて、たまらない感じで した。

■「池田の下半身」

 二回目に私が池田から犯されたのは、昭和58年8月19日のことで した。
 早朝、私はいつもどおりに一人で、大沼研修道場の敷地内にあるプレ ハブ建ての喫茶「ロアール」の掃除をしていま した。
 大沼の夏は、もやが深く立ち込め、数メートル先も見えなくなりま す。
 入口を背にして、テーブルを拭いていた私に、いきなり池田が後ろか ら抱きついてきました。

池 田は、毛むくじゃらの腕で私をはがいじめにし、脚をかけて、私を押し 倒しました。
 倒れる瞬間、私はテーブルで左脇のあたりを強く打ちました。また、 ブラウスはボロボロに破かれ、スカートも靴下も無理やり外されてしま いました。
 のしかかってきた池田を押し退けようとするのですが、脚も腰もオモ リを付けたように重く、はねのけることなど、とてもできないのです。
 池田は、まるで、狙った獲物に向かって一直線に進む、ケダモノその ものでした。
 目的を果たし終えた池田は、外に人の気配を感じたらしく(結局、外 には誰もいなかったのですが)、力をゆるめ、私はようやく解放されま した。
 このとき、一瞬ではありましたが、私は初めて池田の裸の下半身を見 ました。池田の下半身は異常に毛深く、まるで黒いパンツでもはいてい るかのようでした。
 トレーナーのズボンをずり上げながら逃げる体制の池田は、私の方を 振り向き、
「二号さんの顔を見にきたんだよ」
 と、下品に顔を崩して笑いました。その笑いは、本当にこの世のもの とも思えない不気味さでした。

■ 最後は平成3年

 大沼研修道場で三回目に私が池田から暴行を受けたのは、平成3年8 月17日の早朝でした。
 朝7時半頃、食料の補充をするために、私は、研修道場の敷地の中を 歩いていました。
 その朝も、大沼研修道場は深い霧に包まれていました。
 敷地の路上を歩いていた私に、突然、池田が左後方から飛びついてき たのです。私は引き倒され、後ろからすごい力で抑え込まれてしまいま した。
 逃げよう、逃げようとするのですが、全体重でのしかかられた上に、 押さえ込まれ、地面には掴まるところもなくて、どうすることもできま せん。声を出そうにも、「アー」とか「ウー」としか出ないのです。
 池田は荒々しく私の衣服をはぎ取り、前の時と同じように「ハッ、 ハッ」と息を荒げて、私を犯したのです。衣服はボロボロになりまし た。
 とにかく、その間も逃げることしか考えなかった私は、無我夢中で池 田の手を引っかいたり、かみつき、池田の力が一瞬、ゆるんだすきに、 私はようやく身体を引き離すことができました。
 池田は、また、あの不気味な笑いを見せ、霧の中を逃げていきまし た。

以 来、このできごとを誰れに話すこともできず、どれだけ思い悩み続けて きたことか――。

 ようやく私は、意を決して、池田の責任を問うために、池田が私にし た行為を提訴いたしました。

 池田を法廷に引っ張り出すことが、池田大作という人間の真の姿を、 だまされている学会員の皆さん、国民の皆さんに知っていただくことに もつながる、と思っています。
 最後に、池田の習性・性癖を垣い間見た私としては、全国に、私のよ うな被害者が、まだいるはずだ、と思います。その方達が、真の勇気を 持ってくださるよう、期待しております。

平 成8年2月、北海道創価学会副総合婦人部長の『信平信子』さんが「三 度にわたって池田大作に強姦された」と告発し、同年6月東京地方裁判 所に損害賠償請求の訴えを起こした。

池田大作レイプ事件の被害者『信平信子』の告白手記/週刊新潮

レ イプ事件の判決

信 子さんが長男を出産して以降、健康が優れなくなったことから、創価学 会に入信。夫婦で信仰のために尽くした。
 特に信子さんの活躍はめざましく、”折伏の鬼”と称され、池田氏 は、
「函館に 歴史残せし 光る君」
 という自ら作った句を信子さんに贈り、金褒章や広布功労賞という名 誉ある賞も与えて功績を讃えている。
 しかし、信子さんが告発することになる池田大作氏の三度にわたるレ イプ事件を経て、夫妻は平成5年に創価学会を脱会。本誌に、「私は池 田大作にレイプされた」という告白手記を発表したのは、平成8年2月 のことだった。
 その後、創価学会の機関紙や雑誌で、”品格”のかけらもないあらゆ る罵言雑言を浴びせられながらも池田レイプ事件を法廷に持ち込んだ。
 信平さん夫妻は、急発進した車に轢かれそうになる出来事に何度も遭 遇しながら、挫けることはなかった。

だ が、裁判所は信子さんに対して、証人として証言させることもなく、 「時効」でこれを退けるのである。裁判を傍聴し続けたジャーナ.リス トの乙骨正生氏がいう。
「信子さんの訴えは時効であるとし、ご主人の醇浩さんの損害部分につ いても実質的な事実審理に入ることなく訴えを退けたのです。裁判官が 完全に創価学会側の主張に沿って訴訟指揮するという、司法における創 価学会の力を見せつけた裁判でした。しかし、それでも醇浩さんは、誰 もがヒレ伏すこの巨大組織に一度も揺らぐことなく、毅然たる批判の姿 勢を貫きました。自らの信仰に忠実に生きた立派な生涯でした」
 83歳の大往生だった。

女 優 杉田かおるの創価学会告発本

杉 田かおる(著)「杉田」(小学館刊)

杉田の父、八造(70歳、不動産業、神奈川県小田原市在住)に対する 恨みと、杉田が入信した、創価学会での活動を反省する書、である。


杉田の両親は、杉田が6歳のときに離婚していたが、父・八造は離婚前 から何人もの愛人がおり、離婚後も杉田家に出入りし、母にお金を渡し ていた。創価学会員でもある八造は、人妻を騙して土地を巻き上げると いう、詐欺行為を繰り返していた。

杉田が16、17歳ぐらいの頃。神奈川県・厚木にある寺の土地を狙っ ていた八造。八造の車に同乗していた杉田、八造が自分がいかに人のた めを思って仕事をしているか、などと「詐欺師の妄言」を語る姿に逆 上。

八造が持っていた、土地買収用の「見せ金」30万円を、車内から外に 投げ捨てた杉田。すると八造が豹変、走行中の車から杉田を突き落とそ うとするが未遂に終わる。しかしその後も八造は、度々杉田家を訪れ、 馬鹿な母を騙して杉田の実印を持ち出し、杉田名義の借金を増やし続け た。

「転 教(てんきょう)」という、全国で学会の布教活動にいそしむグループ に入った杉田。全国各地での講演が生活の中心に。16歳のときに買わ された土地が、バブル景気で高騰し、24歳の時には「長者番付」に載 るほどまでに。「悲惨な生い立ちだったが信仰で成功者に」という、学 会本部が作った台本に違和感を覚えながらも、全国の学会員が待ってい てくれる、と思い布教活動に深入りする杉田。女優としての仕事は激減 したが、忙しい毎日だった。
 
地方への交通費や宿泊代は、学会が出してくれたが、日当などはなく、 すべて自分の持ち出しだった。芸術部所属ということで、一般の会員よ り丁重に扱われていたが、本部の上層部の人間は違った。広報機関紙の 記者が取材にかこつけて「今から会いませんか」と誘ってきたり、酒席 でセクハラまがいのことを強要されたり。酒席でハメを外している、最 高幹部に疑問や不信感をいだいた。

1985 年。教団機関紙(聖教新聞)発行元を、アメリカ大使館の一行が親善訪 問するというイベントに駆り出された杉田。最高指導者・池田大作を囲 む食事会の席で、デザートにメロンが出た。「このメロンは天皇陛下と 私しか食べられない」という池田。ひとさじすくって口に入れたあと 「みんなにも食べさせてあげたい」と言い、食べかけのメロンを隣の席 の人に。同じスプーンですくって食べ、また隣の人に。気持ち悪さが 襲ったが、ついにメロンが杉田の前へ。ほとんど食べ尽くされていた が、覚悟を決めてメロンを飲み込んだ。「お下げ渡し」と称した最高指 導者の行為に、不信感をいだいた。
 
学会には、年に一度の「献金の日」というのがあるが、年金生活者や生 活保護を受けている人からも集金する、という行為に疑問を持った。杉 田自身は、集金活動には参加せず済んだ。

杉 田より少し前に学会を脱会していた、杉田と年齢が近い女優のK・U も、日本から離れてアメリカ・ロサンゼルスに滞在していたら、学会の 海外支部の人たちに軟禁状態にされ「なんで教団をやめたんだ」「戻っ てこい」と説得され、とても怖かったと教えてくれた、とのこと。
 
杉田は結果として、すんなり学会から離れることができたのは、学会の 「黒幕」と懇意にしていたから、という記述も。
 
「黒幕」とは、以前から家族ぐるみのつきあい。
1989年、横浜で起こった「金庫事件」(横浜の廃棄物処理場で、2 億円近いカネが入った古金庫が廃棄されていたが、所有者は教団幹部 だった-この事件についてはコチラをどうぞ)のシナリオを書いたとも いわれる人物。その「黒幕」が、「杉田の家族を守るように」という通 達を出してくれていたから、だそうだ。
 
その後「黒幕」とも訣別し、テレビの仕事を増やす。テレビに姿を晒 す、ということは人目につく、ということ。
人目につくのは、身を守る最上の方法だと思う、と。

犯 罪に手を染めた創価学会の悪魔たち ①

警 視庁少年育成課と神田、町田、牛込署は、十五歳から十七歳までの少女 四人に対して買春行為をしていたとして、江戸川区南葛西六の江戸川区 議、松本弘芳容疑者(48)を児童買春・児童ポルノ法違反容疑で逮 捕。
会員制売春クラブの経営者の葛飾区金町六の円山祐道容疑者(26)を 児童福祉法違反の疑いで再逮捕した。
調べによると、松本容疑者は七月四日ごろ、荒川区内のホテルで円山容 疑者から紹介された十六歳と十五歳の女子高校生に現金計十万円を支 払って買春行為を行っていた。また、松本容疑者は同二十八日ごろに も、現金計七万円を払って十六歳と十七歳の無職少女二人に同様の行為 をしていた疑い。
松本容疑者は公明党所属で現在区議二期目。

朝 日新聞
【女子中高生ら4人への買春容疑で公明党区議を逮捕 警視庁】

警視庁少年育成課と神田署などは9日、少女4人を相手に買春したとし て江戸川区南葛西6丁目、江戸川区議の松本弘芳容疑者(48)=公 明=を児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いで逮捕するとともに、東 京都葛飾区金町6丁目、売春クラブ経営圓(まる)山祐道容疑者 (26)を児童福祉法違反(児童にいん行させる行為)の疑いで逮捕し た。

松本容疑者は、区議会で文教委員を務めており、「これまでに二十数 回、少女を相手に買春した。金は消費者金融に借金して払った」などと 容疑を認めているという。

調べでは、松本容疑者は今年7月4日と同28日、荒川区内のホテル で、圓山容疑者に1人あたり5万円を支払って紹介された埼玉県川口市 内の県立高校1年の女子生徒(16)ら18歳未満の少女4人を相手に 買春した疑い。圓山容疑者はこの中から紹介料として2万円を取ってい たという。
(2000.11.09 asahi.com)

「“気 持ちいいんだろ?”とか“何が欲しいんだ?”と相手を辱めるプレーが 好きだったようで、バイブやアイマスクが出てきました。
“頑張れば5000円アップの1人3万5000円あげる”と言って、 相手にも激しいサービスを求めていました。

よほど満足したのか1人5万円、2人に10万円渡したこともあったよ うです。松本の性癖はとどまるところを知らず、ビデオ撮影までしてい た。

押収した9本のビデオには相手の名前と日付が書かれ、大事にカギをか けたレターケースに保管してありました。

3Pにハマってしまった松本は消費者金融に400万円の借金をつくっ ていました」

犯 罪に手を染めた創価学会の悪魔たち ②

1 月27日、インターネットを悪用し、わいせつ図画などを販売していて 神奈川県警に逮捕された有名大学教授・高松和明(44)
―彼はなんと、創価大学初代学長・高松和男氏の息子だった!

高松和明は昨年五月、妻子がありながら、インターネット上で知り合っ た女性(20)と交際をはじめ、その交際相手との情事などを撮影した 画像や、相手の下着や尿まで、インターネット上で販売していた。

高松家は熱心な学会員一家。ことに父親・和男氏は、創価大学開学当 時、東北大学教授から創価大学学長に抜擢され、池田が欧州を豪遊する 時など、いつもお供として付き添っていた。もちろん和明も、創価大学 の卒業生である。

学会員の中でも超エリートの部類に入り、しかも有名大学の教授とし て、知性も理性も人並み以上と思われた高松和明――。
しかしその実態は、「女」に溺れ、「金」のために破廉恥事件を引き起 こす「餓鬼」であった。

犯 罪に手を染めた創価学会の悪魔たち ③

平 成二十六年八月二十二日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号「朝刊ピックアップ」で、記事 「氷川きよし書類送検、暴行、ホモセクハラ、創価…」を企画、取 材、執筆しました。

けさの産経新聞に「氷川きよしさんを書類送検」という記事が顔写 真付 きで載っている。記事によると、「元マネージャーの肩をかばんでたた いたり、足を蹴ったりするなどの暴行を加えたとして、警視庁麻布 署が 21日、暴行容疑で、演歌歌手の氷川きよし(本名・山田清志さん (36))を書類送検した」とある。

 この事件は、雑誌「週刊文春」5月8日・15日号「「氷川きよ しの 『ホモセクハラ』『暴力』『創価学会強要』地獄 男性マネジャーが告 発 演歌界プリンス『裏の顔』」に詳しい。

 同記事によると、氷川の所属する長良プロダクションのマネー ジャー 後藤光雄氏(仮名、20代)は、今年1月4日付で氷川の担当になっ た。就任初日、後藤氏に対し、氷川は、「オトコに興味あるの?」 と聞 いた。後藤氏は「ないです」とキッパリと言った。

そ の後も氷川は「あんた、本当にノンケなの?」(※「ノンケ」と は、 ゲイが使う隠語で、同性愛の気がないことを意味する)と聞いたり、 「オナニーは何で抜くの?」と聞いたりしたが、後藤氏のノリが悪 いこ とを理由に、氷川はこう吐き捨てたという。「つまんないヤツ!」

 氷川は徐々に、「ノリが悪い!」「バカ!「何やってんだ!」 「死 ね!」「この障害者!」と罵倒したり、何発もビンタしたり、タバコを 投げつけたり、ペッドボトルの水を頭からかけるといった暴行を重 ねた という。

 また、氷川には、デビューから15年間ずっと担当マネジャーを 務め るJ氏(47歳、女性)という人物がいる。J氏は、殴られ続ける後藤 氏に向かってこう言い放ったという。

「バカじゃないの」

ち なみに、氷川とJ氏は共に創価学会員。「無宗教です」と答える後 藤氏 に対し、氷川は、あり得ないと言わんばかりに眼を見開き、「何それ!  もしかして何も信じないで生きてるの? 生きる価値ないよ。(学会に)入った方がいいよ。親は何考えてるの? 頭おかしいんじゃない?』と、早口でまくし立てたり、創価学会の 集会 に連れて行かれそうになったこともあったという。

 そして今年4月3日――。この日、明石から岡山へ移動中、氷川 は機 嫌が悪く、「おい、おっさん」「中年太り!」と罵倒し、モノを投げつ けていた。

同 日夜、一行が岡山全日空ホテルにチェックインし、スイートルーム があ る14階までエレベーターで行き、後藤氏がエレベーターの「開」ボタ ンを押そうとすると突然、氷川が、後ろから後藤氏の頭を殴りつ け、後 藤氏が激痛で振り返ると、氷川はグッチのカバンを頭上高く振り上げ て、もう一発。さらに、氷川は「開ける押しますじゃないよ、バ カ!」 と言いながら、ごついブーツで左足に蹴りを入れ後藤氏が出血する中、 氷川は「そんなことはどうでもいいんだよ、おめえよぉ!」と叫び なが らペットボトルを投げつけてきた。それを見たJ氏は、「(防犯)カメ ラに写ってるから! 放っとけ』と止めに入ったが、氷川の暴力はなかなか止まらかった。

 後藤氏はこの時、録音していた。それが決め手となって、今回御 用と なったというわけ。創価学会と芸能界の闇の深さを物語る事件といえよ う。(佐々木奎一)

犯 罪に手を染めた創価学会の悪魔たち ③

● 障害者女性妊娠事件(平成12年)
岩手県の知的障害者施設で、男性職員(創価学会副圏長)が、知的 障害 のために判断能力のない女性入所者を妊娠させました。

●平成16年10月16日付慧妙
北上市においても、学会員の仏罰の現証は歴然と顕われてきてお り、圏 幹部Tが、自分の勤める施設に入所していた精神障害者を妊娠させた。

犯 罪に手を染めた創価学会の悪魔たち ④

鹿 児島市議で公明党の県本部長でもある玉利正は、議会関係者と食事 した 後、その中の一人の女性に、体を触ったり後ろから抱きつく等のセクハ ラ行為をしたことが発覚し議員辞職。

犯 罪に手を染めた創価学会の悪魔たち ⑤

強 制ワイセツで捕まった創価学会エリ-ト学者
(週刊新潮04/5/6/13)

今年2月に東京・蒲田でおこった強制猥褻事件。捕まった有田晴也 の手 口はこうだった。
「帰宅途中の27歳の看護婦の後をつけ、暗がりの空き地に引きず りこ んで押し倒し、尻をさわり、陰部に指を挿入しました」(捜査閑係者)
そこを警ら中の警官に見つかって現行犯逮捕となった。
4月26日に下された判決は懲役2年ぐ4ヶ月、執行猶予4年。 酔っ 払っていたことと、被害者に示談金50万円を渡したこと、そして、初 犯で反省著しいということでの温情判決らしい。
さて、この創価学会エリート学者、一方でなかなか輝かしい経歴の 持ち 主でもあった。

創 価学会の得意技である、事件の捏造、写真の偽造、証拠の改竄… 醜悪 な虚 像を作り、性的に貶めることで快感を感じるサイコパスな創価学会幹部たち

シ アトル事件

学 会が「シアトル事件」と称していた件ですが、これは、"昭和38 年、 アメリカのシアトルで日顕上人(当時教学部長)が売春婦と金銭トラブ ルを起こした"等というものでした。

学会は、30年も前の話だから、どんなにウソを並べてもバレるこ とは ない、と思ったのか、ヒロエ・クロウという、シアトル在住の一学会員 を唯一の告発者に仕立てて、クロウの口から、現実にはありえない 荒唐 無稽な物語を語らせたのです。

しかし、所詮は作り話ですから、その物語には矛盾点がたくさんあ りま した。
たとえば、クロウの話では、「日顕上人の代わりに、後から駆けつ けた 自分(クロウ)が警察に出頭して、事情聴取を受け、調書に日顕上人の 名前を『ノブオ・アベ』と代筆でサインした」とされていました。

しかし、もし、本当に事件があったというなら、警察が当事者の日 顕上 人を帰して、その場にいなかったクロウから事情を聞く、などというこ とは絶対にありえません。
また、"サイン"というのは、アメリカでは大変重要視されていま すか ら、犯罪に際して他人の代筆など、認められるはずがないのです。

し かも、サインしたという名前が、日顕上人の当時の名前と違ってい まし た。
それで通ったとしたなら、警察は日顕上人のパスポートを確認しな かっ たことになります。
外国人が事件を起こしているのに、警察がパスポートを確認しな い、な どということは、現実にはありえません。

さらには、当時、シアトルでは"売春"は犯罪とされ、罰金刑が課 せら れていました。つまり、売春が発覚した場合、売春婦は犯罪者として逮 捕されるはずです。それなのに、クロウの話では"売春婦はその場 で放 免され、日顕上人の代わりに部外者のクロウだけが事情聴取を受けた" というのですから、これまたありえないことなのです。

もちろん、宗門側は、こうした矛盾点を挙げて、「シアトル事件」 など というものは現実に存在しない、学会の作り話だ、と反論しました。
それに対して、学会は、ヒロエ・クロウを原告にしてアメリカで裁 判を 起こしました。「クロウを嘘つき呼ばわりしたのは、名誉毀損だ」とい うのです。

こ れが、学会の言っていた「シアトル事件」です。
このアメリカでの裁判は、学会・クロウ側が完全に敗訴して終結し まし た。

アメリカの裁判所は、「この裁判は、日顕上人を陥れるために創価 学会 が仕組んだものだ」と、判決文の中でハッキリと認定したのです。

一方、日本の東京地裁でも、これに関して裁判が行われていまし た。こ ちらは、学会のあまりにひどいウソに対して、宗門側が提起したもので す。
この裁判の過程でも、学会のウソや取り繕いが、どんどん明らかに なっ ていきました。その象徴的なできごとが、元警察官のスプリンクル氏の 問題でした。

このスプリンクル氏は、「事件の現場に居合わせた警察官」という 触れ 込みで、途中から証人として登場したのですが、なんと、この人物は、 学会側弁護士から金で雇われた人物で、しかも、事件があったとさ れる 当時、アメリカ空軍に徴兵されていて、シアトル市警には勤務していな かったことが判明したのです。

これが明らかにされ、学会側は慌ててトンチンカンな言い訳をしま した が、もはや、学会側が物を言えば言うほど、傷を広げるだけ――
「シアトル物語」の崩壊は、誰の目にも明らかでした。

創 価学会 合成写真事件

事 件の起こった発端
合成写真事件の起きた、そもそもの発端、それは、創価学会が、機 関紙 上に宴席写真を掲載し、あたかも日顕上人猊下が芸者遊びに興じている かのごとく罵ったことから始まった。

この学会の誹謗記事に対し『妙観』紙が、写真は、 招待された宴席であって、何も、猊下が芸者を呼んで豪遊した場面などではない、と反論。
これによって返答に窮した学会が、持ち出してきたのが、これら二 枚 の、いわゆる〃芸者写真〃であった。

「堕 落した行体」 「遊蕩と邪淫」 「放蕩写真」 「芸者遊びにうつつをぬかす者」
「芸者衆を侍らし悦に入っている。一夜、数百万円の戯れであ る。…日 顕は骨の髄まで腐敗している」

こうして学会は、これら二枚の芸者写真が、日顕上人猊下の遊蕩・ 邪 淫・淫乱の現場写貞であると大宣伝を繰り返したのだが、しかし宗内か らは、この二枚の写真に対し、疑惑の声が挙 がった。
(中略)
誰が見ても異常な写真であり、プロの写真家も「現代のカメラで普 通に 撮影して、この ような写真が撮れることは百パーセントありえない。これは、合成などの手法を用いた写真の 変造であり、捏造・偽造と呼んで間違いない」と断定。

写 真偽造事件の経緯

創価学会が自身への反対者、批判者に対して、どのような攻撃を仕 掛け るのか、この事件はその見本のような性格を持っている。

こうした攻撃の中、とりわけ目立ったのは宗門トップ、阿部上人へ の個 人攻撃である。
特に「買春事件」をデッチ上げた、いわゆる「シアトル事件」はそ の柱 だが、一方で、阿部上人が酒興に浸り女遊びに興しているかのごとき中 傷報道が、連日のように行なわれてきたのである。

 今回の訴訟及び判決は、その学会側キャンペーンの中核が崩壊し たこ とを意味する。掲載の二葉の写真をご覧いただきたい。

 一方の写真では、背景が全く別なものと合成され、しかも隣の人 物が 消し去られている。一人の人物、つまり阿部上人が芸者に接待されてい るかのような構図だ。

も う一枚の集合写真は明らかにトリミングが施され、両脇の人物(男 性) がカットされ、あたかも中央の人物(阿部上人)が芸者連に囲まれてい るように強調されている。
 この二葉はいずれも、学会機関紙『創価新報』(平成四年十一月 四日 号および同月十八日号)に掲載されたもの。

 つまり、この写真を見て、以下のようなキャプション、解説記事 を読 めば、あたかも阿部上人が、いかがわしい芸者遊びの常習者であるかの ように思いこむ仕掛けになっているのだ。

原告側の実質的勝利

謝罪広告や写真掲載差し止め等は認められなかったものの、原告側 の実 質的勝利に変わりなく、学会側弁護団の〝奮闘〟虚しいものに終わった ということだ。学会側は即日控訴したが、今回の判決は後に控える 宗門 VS学会訴訟にも多大の影響を与えるに違いない。

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